2017/2/3
もったいぶって終わった前回の続き。
UFOの周囲で目撃される黒いスーツの男たちの正体について、諸説ある中で、
「ドッペルゲンガーの謎(1)(町田の壁抜け少女)」で少女のドッペルゲンガーが語った世界の真実を元に、
彼らはこの世界のエラーを通常運転に戻すための修正屋。
もしかしたら多くの人々が彼らと接触したり目撃しているのかもしれないが、彼らによって「修正」され、その記憶を消されている・・・という仮説を立ててみた。
そして、あらためて「UFOについて調べてた友達が消えたんだが聞いてくれ」の記事を読み返していたとき、「や・ば・い」ことに気づいてしまった。
それを説明する前にぜひ下の漫画をご覧いただきたい。
オモコロより
絵はかわいらしいが内容は衝撃的だ。
でも私は最初読んだとき意味がわからなかった。
おせっかいかもしれないが簡単に解説すると、
3つのコマで構成された左から
「主人公(女の子)の心情」(左)、「客観的光景」(中央)、「友達の心情」(右)である。
特徴的なのは一番右の友達のコマは最初から最後まで真っ暗。つまり「心がない」ことを表現している。
数学の補修のプリントを仕上げるのが嫌で「いっそ消えてしまいたい」と漏らした女の子に友達が「食べると自分の中の『私』だけを殺す毒薬(キャラメル?)」をくれる。
この毒薬は、外見や肉体的には効果なく、他人から見ると泣いたり笑ったりコミュニケーションも今までどおりできるが、「私」という自己意識だけを消して「哲学的ゾンビ」になるという。
「よくわからないけど、おもしろいかも」と食べた女の子の左のコマは段々薄くなっていき、友達と同じ真っ暗になる。
でも中央の客観的光景(他人の視点)では、何事もなかったように10代の少女たちのたわいもない会話が続いていく。
「哲学的ゾンビ」とは、wikiによると、デイビッド・チャーマーズ というオーストラリアの哲学者が1990年代に思考実験した、普通の人間と全く同じだが唯一、内面的な経験(クオリア)だけを欠いた存在のこと。
「クオリア」という耳なれない単語が出てきたのでしらべてみると、wikiでは日本語で「感覚質」と訳され、主観的な経験をともなった感覚らしい。
何だかよくわからないので調べると、わかりやすいサイトを見つけた。
哲学的な何か、あと科学とかより
このサイトでは、例えば赤い花をみたときの「赤い」という質感と説明されている。
ただしこの「赤い」という質感、一見他人も同じように共有していると錯覚してしまうが、突き詰めていえばその質感は私だけが認識している個人的な感覚のようだ。哲学は難しい・・・。
話を戻すが、町田の壁抜け少女のドッペルゲンガーによると、われわれはプログラミングされた意思の無い生き物で、ある上位の存在がつくった物語の中で暮らしているという。
・この世界はわれわれの上位にあたる存在が主人公を演じるための舞台であり、われわれのほとんどはプログラムで意思を持たず、運命が決められている。
・われわれはその運命に沿って認識するのみで、その経験を上位の存在が鑑賞・体験・実感するためのモニター的存在。
・われわれが意識と認識しているものは錯覚。
ドッペルゲンガーが語った存在とは、まさに哲学的ゾンビではないか?
2ch発の話を根拠にするのが気に入らなければ、オックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロム教授が提唱する「われわれははるか未来の知的生命体が創造したシミュレーションの世界で暮らしている」というシミュレーション仮説を根拠にしてもいい。
もう一つ、以前「人の自我とは?(意識の統合情報理論)」でご紹介した、慶応大学の前野隆司教授の「受動意識仮説」によれば、私という自己意識は「脳が作り出す錯覚にすぎない」そうだ。
またアメリカの精神科医ジュリオ・トノーニ教授による「意識の統合情報理論」では、生物が意識を持つ確率をΦ(ファイ)という数値で定量化し、人間や猿だけでなく、犬や鳥や昆虫にさえ脳の「情報の多様性」×「ネットワークの統合性」に応じて意識があることが示唆されている。
つまり、われわれの自我は錯覚かもしれないし、条件さえ整えば人間以外の生物ももっているありふれたものなのかもしれない。
目の前で見ている光景、それを見て考えて行動していると思っている自分の意識さえもが幻想だとしたら・・・。
幼い頃から遊んでいた友人の存在が、家族や会社の人たちなど、スレ主を除く関わりのあった周囲の人間すべてから消え失せ、残ったのは正月に届いた年賀状だけ・・・。
「UFOについて調べてた友達が消えたんだが聞いてくれ」の記事を見返していて「や・ば・い」と思ったのは、「我思う故に我あり」という自分の存在だけは真実だというデカルトの言葉でさえも揺らいでしまう可能性だった。
もし年賀状が手元になければ、スレ主も、友人が本当にいたのだという確信をもつことはできないだろう。
これが町田のドッペルゲンガーが語った、「修正」で間に合わないケースは、「消去」で対応するということなのか?
しかも優秀な修正屋は、黒服の男たちのように人々に目撃されたり噂になるようなヘマはせず、いっさい人の記憶に残ることなくスマートに消してしまうらしい。
前回アメリカで行方不明になった子供の話を紹介したが、日本でも失踪事件は起こっている。
2014年1月22日、Peachyより
2013年7月に行方不明になった千葉県茂原市の高校3年生の女子高生は、2ヶ月半後に神社の社の中で無事発見されたが、服装は行方不明になった当時のままでぼろぼろ、体重も半減した。
警察の「誰かに連れ去られたり、事件に巻き込まれたのか?」という質問には首を横に振り、「ずっと社にいたのか?」「畑の野菜を食べていたのか?」という質問にはうなづいたという。
2014年1月には、神奈川県相模原市の小学5年生の女子児童が 1人で犬の散歩に出かけたあと行方が分からなくなった。4日後に22キロ離れた場所で無事保護されたが、少女に目立った外傷はなく、何を質問しても「わかりません、覚えていません」というばかりだったそう。
暑い夏にろくな食料もなく、少女が一人で2ヶ月半の間誰にも発見されず暮らすことができるのか?など謎も残るが、とにかく彼女たちは無事保護されてよかった。
いや、町田のドッペルゲンガー的には、その存在が消されなくてよかったというべきかもしれない。
しかし、われわれの気づかないうちに「修正」や「消去」されてしまった人たちは・・・。
つい先日こんな記事が不思議.netに掲載された。
2017年1月23日、不思議.netより
台風のときに田んぼの様子を見にいった祖父を心配したスレ主(女性)は、あやまって氾濫した川に落ちてしまう。家のベッドで気がついたが、家族を含めた周囲の様子に違和感があった。
調べてみると前の世界ではなかった東日本大震災が起こっており、祖父はスレ主が幼い頃に亡くなったことになっていた。
2chではありふれた、パラレルワールドに来てしまったという話だが、不思議.netで紹介されてからも本スレは続き、その後、同じように違う世界から来たという経験を語る人々が何人もスレに登場している。
みんなに共通するのは、死に直面した瞬間、よく似ているが異なる世界に移動してしまったという点。
このようなパラレルワールド話で問題になるのが、移動した先の世界の自分はどうなったのか?
元の世界のスレ主の心が、移動した世界のもう一人のスレ主に入ったのなら、元のスレ主の心はどこへ追い出されてしまったのか?
実は町田のドッペルゲンガーがその答えを語っている。
町田の少女のように、他のパラレルワールドで、もう一人の自分と出会うこともある。でもそれは稀なケース。
ほとんどは、元の世界の自分はその瞬間に死んでしまい、類似した世界に魂が移行する。
それでは移行先の身体に入っていた魂はどこへいく?
そんな魂など、ないのである。
われわれは(町田のドッペルゲンガーのような上位の存在を除けば)哲学的ゾンビなのだ。
みな自分の心があって自分で考え行動しているように感じているが、それは哲学的ゾンビでも可能なことだ。
今このサイトをスマホやPCのモニターで見ているあなたは、たまたま開いたこのサイトで、自分の意思でこの文章を読んでいると思っているはずだ。
そこへ家族や友達が「何を見ているの?」と声をかけてきた。
その家族や友達が哲学的ゾンビではない、と果たして断言できるだろうか?
さらに言えば、仮に家族や友達、もっと言えばこの世界のあなた以外の人間が哲学的ゾンビだったとして、あなただけは魂をもった人間であると断言できるだろうか?
でも、今目の前でこの文章を読んでいるのは確かに自分だし、わけのわからないたわごとを書いてるこのサイトなんか早く閉じて、もっとおもしろいことをしよう、おなか減ったからご飯でも食べよう・・・と思っている、自分がいると主張するだろう。
ただそれさえも、この世界の外側のどこかから、あなたの視覚情報を元に鑑賞して楽しんでいる誰かの存在を、「そうではない! 私は私だ!」と完全に否定することができるだろうか?
本当に怖いのは、この考えが真実だとして、われわれにはどうすることもできないことだ。
われわれができるのは、ただひたすらに日常を生きていくことしかない。
他の世界から移動してきた人たちや消されてしまった人たちに比べれば、慣れ親しんだ世界で普通に日常を暮らせること、それがとても幸せなことなのだ。
今回はタイムトラベルからだいぶ脱線してしまったが、たまにはこんな話もと、どうかご了承を・・・。