●ブラックホールに飲み込まれた情報はどこへ行く? エントロピーと情報パラドックス

2019/4/27

 

ブラックホールと情報パラドックスイメージ

2019年4月10日、宇宙の謎の1つ「ブラックホール」が人類の前にはじめてその姿を現わした。

 

2017年4月に「イベント・ホライゾン・テレスコープ(EHT)」という地球上の電波望遠鏡をネットワークで結んだ巨大な望遠鏡によって撮影され、そこから得られた膨大なデータを世界中の科学者たちが2年間かけて解析した貴重な写真だ。

初めて撮影されたブラックホールの画像(EHT Collaborationより)
初めて撮影されたブラックホールの画像(EHT Collaborationより)

 

ブラックホールは強大な重力を持ち、近づいたものは何でも吸い込んでしまう天体として知られている。

 

今回は今話題のブラックホールについて「その中に飲み込まれたものはどうなるのか?」、その行先について考えてみたい。

 

 

さて何でも吸い込んでしまうと書いてしまったが、ブラックホールにも「ここまでならまだ引き返せる」、「これ以上進むと光でさえも抜け出すことはできない」という境界がある。

 

この境界線を「事象の地平線」という。

 

事象の地平線を超えた物質は二度と元の宇宙に戻ってくることはできない。この世から存在が消え去ってしまったともいえる。

 

だから事象の地平線はわれわれの宇宙から物質を隠してしまうベールのようなもので、ブラックホールの実質の地表にあたり、「事象の地平面」とも呼ばれる。

※このサイトでは「事象の地平面」を積極的に使っている。

 

 

ちょっと待った! いったん入ってしまったら二度と取り出せないのであれば、それは「熱力学第1法則」、つまりエネルギー保存の法則に反していないか? 

 

一見するとこれはパラドックスに見える。

 

でもあなたは次にこう思うかもしれない。

 

いやいや、たとえ取り出せなくてもブラックホールの中に入った物質の情報は残っているから、ブラックホールの中身まで含めれば保存されている。つまりパラドックスじゃないよ。

 

 

果たして本当にブラックホールの中に入ってしまった情報は残っているのだろうか? それとも消えてしまうのだろうか?

 

その答えを出すにはもう少し深く考察していかなければならない。

 

 

ここでブラックホールについて1970年代に驚くべき発見をした二人の物理学者を紹介しよう。

 

かのスティーブン・ホーキング博士ヤコブ・ベッケンシュタイン博士だ。

 

ホーキング博士とベッケンシュタイン博士は、何かがブラックホールの中に落ち込むと、事象の地平面の面積がその情報量の分だけ広がることを発見した。

 

さらに2つのブラックホールが合体して新たな1つのブラックホールができあがると、その地平面の面積は元の2つの表面積を足した合計よりも大きくなる。

 

そしてホーキング博士とベッケンシュタイン博士は、このブラックホールの表面積が増えていくという性質が、「エントロピー」によく似ていると主張した。

 

 

「エントロピー」とは一言でいうと「情報の乱雑さ」だ。

 

情報は整理された状態から,放っておくと自然に乱れた状態に移行する。

 

例えば整理されていた部屋が次第に散らかってしまったり、コーヒーにミルクを注ぐと自然に混ざっていく。

 

この性質のことを「エントロピーの増大」または「熱力学第2法則」と呼ぶ。

※正確には「孤立系」という外部とエネルギーや物質のやり取りがない隔離された状態という条件がつく。

 

 

しかし「ブラックホールがエントロピーをもつ」という二人の主張は他の物理学者たちになかなか受け入れられなかった。

 

なぜならブラックホールに飲み込まれた物質の情報は中心の特異点で破壊される。

 

それぞれのブラックホールには、質量角運動量(回転する速度)、電荷3つの特徴しかなく、例え人間のような複雑な情報をもった物質が飲み込まれたとしても最終的にこの3つに単純化されてしまい、エントロピーは減少する。これでは熱力学第2法則を破ってしまう。

 

これが科学者を悩ませた「ブラックホールの情報パラドックス」だ。

 

さらにブラックホールがエントロピーを持つのならば、「熱」力学の法則というぐらいで、条件として「温度」がなければならない。

 

ばかばかしい、直観的にブラックホールに温度なんてあるわけないだろう。

 

でもさすがはホーキング博士、なんと量子力学の観点からブラックホールに放射があることを導き出したのだ。

 

 

ミクロの世界を研究する量子力学では、「真空」とは何もない空間ではなく、たえず粒子と反対の電荷をもつ反粒子が生まれてはぶつかって、生成と消滅を繰り返している空間だと考える。

 

この粒子と反粒子の対生成と対消滅を、事象の地平面で考えてみよう。

 

事象の地平面で生まれた粒子と反粒子は、それぞれ正のエネルギー負のエネルギーをもつ。

 

普通なら生まれてすぐにそれぞれの粒子がぶつかって消滅してしまうが、地平面の境界ではブラックホールの強大な重力により負のエネルギーの反粒子だけが内側へ引き込まれることがある。

 

エネルギーと質量は等価であり、このときに反粒子は負のエネルギーによってブラックホールから質量を奪う。

※アインシュタインの有名なE=mc2の方程式より。詳しくは下記を参照。

 

●中学生や文系でもわかる! アインシュタインの相対性理論E=mc2の数式解説

 

 そして事象の地平面の面積は奪われた質量分だけ小さくなる。

 

このとき残った正のエネルギーをもった粒子はどうなるかというと、パートナーを失って地平面から外側へ飛び出していく。

 

このときに熱を放つ。ただ発せられる熱量は正の粒子がブラックホールの重力から逃れるためにエネルギーを使うので、離れるにつれてどんどん温度が下がっていく。

 

実際ブラックホールが放つ熱はわずかで、例えば太陽の数倍の質量のブラックホールで絶対温度0.0000001度しかない。これは138億年前の宇宙がはじまったビッグバンのなごりである宇宙マイクロ波背景放射よりも低い。

 

だがわずかでもブラックホールは熱を放射している。

 

この放射をホーキング博士にちなんで「ホーキング放射」と呼ぶ。

 

 

ブラックホールはホーキング放射とともに質量を失って地平面の面積はどんどん小さくなり、最後には蒸発してしまう

 

ちなみに蒸発するまでの時間はブラックホールの質量によって異なり、質量が大きければ大きいほど蒸発するまでに時間がかかる。

 

太陽の数倍の質量のブラックホールだと、完全に蒸発するまでには1066年かかる。これは1010年という宇宙の年齢よりはるかに長い。

 

もう1つの特徴として、ブラックホールの質量が小さければ小さいほど地平面の温度が高くなって放射の速度が増す。

放射の速度が増せば質量を失う速度も増加し、最後には強力なガンマ線やX線を放って消滅してしまう。

 

 

あれ? でもこれってさっきの情報パラドックスじゃない?

 

ブラックホールが放射で最終的に消えてしまうのなら、エントロピーはやっぱり減少して、熱力学第2法則を破ってしまうのではないか?

 

確かにブラックホールに落ちていく反粒子の負のエネルギーで地平面の面積は小さくなるが、小さくなれば外側に放射される正の粒子のエントロピーの方が上回る。

 

全体としてブラックホールのエントロピーは増加し、第2法則は破られないことをベッケンシュタイン博士はホーキング博士の研究を元に導き出した。

 

このときブラックホールの地平面がもつ奇妙な特徴も示されている。

 

ブラックホールに落ち込んだ情報はその中身を満たす立方体の数ではなく、事象の地平面の正方形の数に比例する。

つまり体積ではなく、表面積に比例するのだ。

 

これはブラックホールに落ち込んだ情報が、事象の地平面に蓄積されるとも考えられる。

 

このアイデアをもとに、後にトホーフト博士とサスキンド博士は「3次元の情報は1次元少ない2次元の平面で表現することができる」という画期的な「ホログラフィー原理」に発展させた。

 

さらにホログラフィー原理に「超弦理論」(物質最小単位を粒子のような0次元の粒ではなく、1次元のひもだとして考える理論)を使って、重力を含んだ一般相対性理論を、重力を含まない量子力学で表現することも可能になった。

※ホログラフィー原理や超弦理論については下記を参照。

 

●文系でもわかるホーキング博士の最後の論文解説(3)

 

  

話をブラックホールに戻そう。

 

以上から今回のテーマ「ブラックホールに飲み込まれた情報の行先は?」の答えは、「事象の地平面」にあると考えられる。

 

ただしこの情報は粉々にかき回されてスクランブル化されているので、簡単に取り出すことはできない。

 

だが情報のサルベージにチャレンジしている科学者もいる。

 

つい最近、量子力学の「量子もつれ」という現象を使って、中に落ち込んでスクランブル化された反粒子の情報を、外に飛び出したパートナーの粒子のもつれから取り出すことができるのではないかという研究が発表された。

 

●物理学者はブラックホールに閉じ込められた「解く」情報への道を見つけたかもしれない

2019/3/6 LIVE SCIENCEより

 

メリーランド大学とカリフォルニア大学バークレー校の研究チームが、シミュレートされたブラックホールモデルの中で、量子コンピュータの基本単位「量子ビット」を使用し、情報がいつ、どの程度スクランブルされたかを測定した。

しかももつれた粒子が他の粒子ではなく、そのパートナーと互いに特にスクランブルされていることが示された。

 

この研究は量子コンピュータにおける複雑なノイズを潜在的に測定し、ノイズを除去することにも役立つ可能性がある。

 

飲み込まれた情報を再現するまでにはまだまだ長い道のりだが、その可能性が示されただけでもすばらしい研究成果だ。

 

 

さて、最後にブラックホールタイムマシンとどう関わってくるのかを説明しよう。

 

あなたがブラックホールに近づくとその強大な重量から一般相対性理論によりどんどん時間が遅くなり未来へのタイムトラベルが可能となる。

 

一番近いブラックホールまでたどり着くことが難問だが、これは理論的に実現可能なタイムマシンだ。

 

 

もう1つ、こちらはさらにハードルが高くなるが、ブラックホールの中心にある特異点を利用するタイマシンだ。

 

現在特異点の先がどうなっているのかはまったくわかっていないが、他の宇宙や、もしかしたら過去や未来の他の時間へつながっている可能性も考えられている。

 

「カー・ブラックホール」と呼ばれる回転するブラックホールなら特異点がドーナツ状に変形しており、ドーナツの穴の中心を通り抜けることができれば、無事通り抜けることができるかもしれない。

※詳しくは下記を参照

 

●回転するブラックホール(カー・ブラックホール)はタイムトラベルや宇宙旅行の安全な入り口?

 

ブラックホールの事象の地平面はベールのようにその中の真実を隠している。

 

いつの日かベールがはがされ、タイムマシンへの糸口が見つかることを期待したい。

  

 

【参考にした本】

「ホーキング宇宙の始まりと終わり 私たちの未来」

ホーキング博士のブラックホールや宇宙についての考え方がわかりやすく解説されている。

  

「隠れていた宇宙(下)」

ブライアン・グリーン博士による超弦理論や多元宇宙論などの最先端の理論物理学の解説書。上下巻に分かれており、ブラックホールの情報パラドックスは下巻に掲載されている。