2018/6/22
ホーキング博士の「最後の論文」を解説する3回目。
●「A Smooth Exit from Eternal Ination?(永久インフレーションからのスムーズな離脱?)」
arXiv.orgより
「ホログラフィー原理」を使った永久インフレーションからの離脱という論文の核心にせまっていく。
その前に「宇宙のはじまり」から振り返ってみよう。
論文解説(1)で、宇宙は計算不能の「特異点」からはじまり、「インフレーション」という急速膨張を経て、超高温・高密度の火の玉で膨張したという「ビッグバン理論」を紹介した。
論文解説(2)では、この計算不能の特異点を避けるために、ホーキング博士が考案した「虚数時間」と「無境界仮説」を説明した。
ここで、こんな疑問がわかないだろうか?
「ビッグバン」の前に、なぜ「インフレーション」が必要なのか?
ビッグバン理論はいくつかの問題を抱えていた。
代表的なのは、
●地平線問題
138億年前に起こったビッグバンのなごりである「宇宙マイクロ波背景放射」という波を現在でも観測することができる。
しかし不思議なことにこの波は宇宙のあらゆる方向から観測され、さらに因果関係をもたないような離れた2つの場所から届いた波でも、まったく同じ性質をもっている。それはなぜか?
●平坦性問題
現在の宇宙は平坦だと観測されているが、正にも負にも曲がる可能性があるのに、なぜこんな微妙なバランスで平坦なのか?
これらの問題を解決するために、宇宙はある1つの空間から、一瞬のうちに急速膨張したのだという「インフレーション理論」が考え出された。
同じ空間を起点として膨れ上がったのだから、離れた2つの場所から届いた波が同じ性質をもっていても不思議はなく、最初はでこぼこで曲がっていたとしても、想像を絶するスピードで膨れ上がり、平らに引き伸ばされたというのだ。
この膨張するイメージは、沸騰するお湯の泡に近い。
泡と泡の間にある空間は、泡自体が膨らむ速度よりも速く広がってしまう。
泡同士がぶつかれば、そのエネルギーがビッグバンを引き起こす引き金になるのだが、泡自体が膨らむスピードよりもその間の空間がひきのばされるスピードの方が速いと、いつまでたってもインフレーションがとまらない。
この永遠に続くインフレーションは「永久インフレーション」と呼ばれる。
沸騰するお湯の泡ならぶつかってはじけて消えてしまうこともあるが、永久インフレーションで誕生する泡宇宙は無限に増えていく。
この増殖する宇宙をマルチバース(多元宇宙)と呼ぶ。
このマルチバース理論にはメリットがある。
「この宇宙」は、まるで「神」が自ら作った作品を観測する生物を存在させるために調整したと思えるほど、膨張の速度や物質の質量比などのバランスが人間にとって都合よくできている。
これをマルチバース理論でとらえると、「人間にとって都合よくできている」のではなく、「無数にある宇宙の中で、たまたま条件のよいこの宇宙で人間が誕生したのだ」と考えることができるのだ。
ただしホーキング博士は、次のような問題を提言した。
マルチバースは、急速なインフレーションによって、それぞれの宇宙同士は互いに遠くに引き離されるため、他の宇宙の存在を観測によって確かめることはできない。
観測可能性がないのなら「果たしてそれは科学なのか?」
ホーキング博士が元教え子のハートグ博士と共同でこの論文を書いた動機は、マルチバースを検証可能にすることだった。
そのために博士は「ホログラフィー原理」というテクニックを使ってあらためて量子力学的にインフレーションを研究した。
ホログラフィー原理を解説する前に、物理学が100年にわたってかかえている問題を紹介しておこう。
それは重力を量子力学で説明することだ。
量子力学のようなミクロの世界では、2つの粒子同士の距離を近づけていくと、近づけば近づけるほど重力が大きくなるので、最終的に無限大になってしまい計算不能となる。
これを解決するために考えられたのが、われわれを形作るものの最小単位を粒子のような点ではなく、1本の「ひも(弦)」としてとらえる「超弦理論」だ。
1997年に米プリンストン高等研究所のマルダセナ博士は、超弦理論(の1種)を4次元のAdS(反ド・ジッター空間・・・お椀の内側のように負の曲率をもった空間)で考えると、その境界の3次元におけるCFT(重力を含まない場の量子論)として計算できるという「AdS/CFT対応」を考案した。
もう少しわかりやすく説明すると、「重力を含む」4次元の理論を、その境界にある1つ次元を少なくした「重力を含まない」3次元の理論で計算できるというのだ。
この何がすごいのかというと、重力をミクロの量子力学で説明する困難を、1つ次元を落とすことで、重力を含まない量子力学で計算できてしまう。
※反対に量子力学の複雑な計算が、それよりも簡単な一般相対性理論で計算できるという使い方もある。
「ホログラフィー原理」は、AdS/CFT対応を発展させて、われわれの住んでいる3次元空間は幻想で、そのはるか彼方の2次元のスクリーンに投影された情報こそが本質ととらえる考え方だ。
まるでSFじゃないかと思うかもしれないが、ホーキング博士はこのアイデアを使って、ブラックホールの情報量は、その体積ではなく、表面積を重力定数の4倍で割ったものとして計算できるという「ブラックホール・エントロピー」の公式を考案した。
またAdS/CFT対応を説明したマルダセナ博士の論文は、昨年(2017年)世界で最も他の科学者の論文に引用されている(INSPIREより)。
※ホログラフィー原理についてもっと詳しく知りたい方は、超弦理論のプロフェッショナル 「大栗先生の超弦理論入門 」がオススメ。
ホーキング博士はホログラフィー原理を使って、無境界仮説の特異点をもたない宇宙のはじまりからインフレーション理論を考えた。
無境界仮説による「インフレーションの端」をミクロの「場の量子論」としてとらえたのだ。
「ホーキング=ハートグ仮説」では、永久インフレーションは、空間的な境界(表面)に定義された時間のない状態からはじまる。
これを使って、どのような種類の宇宙が生まれるのかを予測した。
計算の結果、インフレーション全体の空間的な大きさは考えられていたよりもそれほど大きくはならず、マルチバースの多様性を大幅に減らすことができたのだ。
ホーキング博士は、永久インフレーションにおけるマルチバースはさまざまな宇宙法則をもったバラエティ豊かな無限個の宇宙ではなく、似たり寄ったりな有限個の宇宙だと予測した。
しかも、共同執筆者のハートグ博士によると(ERCインタビューより)、この仮説は実験で検証可能だという。
仮説の予測値と、138億年前インフレーションのときに発生した重力波の観測値とを比較することで、この「ホーキング=ハートグ仮説」が正しいかどうか検証できるというのだ。
ホーキング博士は著書の中で自分のことを「実証主義者」だと記しており、理論の検証可能性にこだわっていた。
ホーキング博士ほどの人物が生前にノーベル賞を受賞していないのは不思議と思われるかもしれないが、ノーベル賞はその理論が観測や実験で実証されることが条件の1つといわれている。
ホーキング博士は「ホーキング放射」や「特異点定理」、「無境界仮説」などのさまざまな理論を考案したが、いずれもまだ実証されていない。
インフレーションのときに発生した重力波はまだとらえられていないが、より高性能な宇宙重力波望遠鏡LISA(wiki)が完成すれば、観測の可能性が高まる。
そのときこそ、ホーキング博士の念願だった「自分の理論を観測によって検証すること」がかなうかもしれない。
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「ホーキング=ハートグ仮説」の論文の解説は以上だが、次回はこのサイトのテーマであるタイムトラベルと、この論文から読み解ける可能性を考察したい。