●「時間って何だ?相対論的スポットライト理論)」

2016/8/19

 

スポットライト理論イメージ

「過去を変える方法」のコーナーの中で一度簡単にご紹介したスポットライト理論。これはカラパイアで2015年03月25日に掲載された記事を参考に書いたのだが、タイムトラベルやタイムリープの検討において避けて通れない時間についての命題「いったい時間って何なんだ?」を考えるにあたり、時間についての新しい考え方としてとても参考になった。

 

そこで再び思い立ってスポットライト理論についていろいろ検索してみたところ、日本語ページではこれといったものが見つからず、やっと提唱者のマサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士自身が2008年に書いた「Relativity and the Moving Spotlight」という論文(英語・pdf)という論文にたどりついた。

  

この論文にはどうやら相対性理論にスポットライト理論を組み込むための方法が説明されている。

※誤訳や勘違いなどあれば、ぜひこちらまでご指摘ください。

 

論文にそって紹介していくが、スポットライト理論は「過去・現在・未来が同時に存在し、スポットライトの照らす現在がその空間を移動していく」という理論である。

 

この論文はタイトル通り、相対性理論とスポットライト理論の関係性を説明している。実ははじめはこの2つの理論は互換性がなかったそうである。(私の書いた記事やカラパイヤの元記事と矛盾しているが、これは最後まで読んでいただければおわかりいただけるだろう)

 

もともとスポットライト理論は、哲学的な時間の考え方であるA系列のバージョンの1つなんだそう。A系列? なんだそりゃ?ということで調べてみると、

 

イギリスの哲学者、マクタガートが1908年に発表した論文の中で、時間のとらえ方はA系列とB系列という2種類に区別されるらしい。

 

A系列は、「過去-現在-未来」を「現在」を基準として過去と未来を眺めるとらえ方で、「現在」は固定されたものではなく、かつて未来だったものが現在へと変化し、そして現在は過去へと変化していく。

 

B系列は、「○は×より前」とか「×は○より後」とか前後関係で表現される時間で、2つ以上の関係がなければ成り立たない。

 

マクタガートによると時間の本質は「変化」であり、変化をとらえているA系列こそが時間の本質だという。

 

ちなみにB系列は2つの「順序」の相関関係であり、「前」と「後」は変化しない固定的なものだから時間の本質ではない。もっと言えば、B系列の時間は「順序」+「時間」で構成されており、この「時間」がA系列にあたり、「順序」には新たにC系列という名前をつけて、イ・ロ・ハのような単なる順序や秩序の組み合わせととらえた。

そしてB系列(前後関係)=C系列(順序)+A系列(時間)という式が成り立つという。

 

ただこの後マクタガートは、A系列は時間の本質であるものの、「過去」・「現在」・「未来」という3つの特性を同時にもたなければならず、この3つの特性が「変化」するためには互いに排他的でなければならない。同時にもつべきなのに排他的とはこれいかに?・・・という矛盾が生じてしまうから、突き詰めると「時間なんてものは存在しない。人が勝手に作った概念だ」と主張した。だからこの論文のタイトルは「時間の非実在性」という。マクタガートさん、ほんとうにややこしい。

 

さてスポットライト理論に話を戻そう。スポットライト理論の属するA系列は、「その瞬間にしか時間は存在せず、現在のみが実在する」という「現在主義」を取り入れており、「それぞれの時間は相対的なものである」という相対性理論と矛盾してしまう。

 

相対性理論では、仮にあなたが友達とおしゃべりしていて、目の前にいる友達と「今」という時間を共有しているつもりでいるが、相対論的に言うと実は共有していない。あなたが話しかけている目の前の友達とあなたの時間は厳密に言うとずれており、相対性理論上でリアルタイムのやりとりすることはできない。

 

(ニュートン時空のような)相対性理論が導入される前の古典的時空では、時空のポイントとその瞬間のポイントは同時に存在しており、スポットライトが「過去」・「現在」・「未来」を移動するとして、その照らす先は下の図1のように宇宙全体をとらえればよかった。

古典的スポットライト理論イメージ
(図1)古典的スポットライト理論

 

しかしミンコスフキー時空のように(平坦な)相対論的時空では、時空のあるポイントとその瞬間のポイントが同時には存在しない。古典的理論ではスポットライトは現在存在するすべての人を照らすが、相対論的スポットライト理論ではせいぜい1人の人間のステージを照らすのみだ。

 

つまり古典的なスポットライト理論では、スポットライトは宇宙全体を照らし、過去の宇宙→現在の宇宙→未来の宇宙と移動していく。それに対し相対論的なスポットライト理論では下の図2のように、過去のあなた→現在のあなた→未来のあなた(&過去の彼→現在の彼→未来の彼、&過去の誰か→現在の誰か→未来の誰か・・・)とそれぞれの時空(世界線というかスコウ博士はこれを「ワールドチューブ(worldtube)」と呼んでいる)をスポットライトが照らして移動してく。

(図2)相対論的スポットライト理論イメージ
(図2)相対論的スポットライト理論

 

スコウ博士はもともと相対論と矛盾するA系列に属するスポットライト理論を、相対的な考え方を導入することによって、見事互換性を持たせることに成功したのである。

 

さてこの論文で注目すべき点はそれだけではない。というか論文の最後に書かれた次の内容が興味深い。

 

The response in the relativistic case is parallel: we say that while the spotlight does not shine on you, there is a point in superspacetime from which it does. Now, I will not say anything about whether this is an adequate response to the problem in the classical case. But I do maintain that the response in the relativistic case is just as good. So the relativistic theory is doing at least as well as the classical theory.

(和訳)相対論のケースの応えはパラレルだ。:スポットライトがあなたを照らしていない間、そうしている超時空上のポイントがあると言う。 今、私はこれが古典的なケースの問題点への答えとして十分かどうかは何も言えない。しかし私は相対論のケースでの答えとしてはふさわしいと支持する。だから、相対性理論は、少なくとも古典論と同様にうまくいっている。

 

私の訳だとなんだかよくわからないが、パラレルという表現から「もっともお手軽な過去を変える方法(2)」で紹介したパラレルワールドを示唆しているように思える。

 

さらに、

 

Since I actually follow a very thin worldtube, not a worldline, we could let the spotlight be a little bit unfocused, shining on a small region centered on a point. Then it shines on a region large enough to fit my brain.

(和訳)私は実際にはワールドライン(世界線)ではなく、非常に薄いワールドチューブを進んでおり、我々は、ほんのちょっとしかピントの合っていない、ポイントを中心にした小さな領域で輝いているスポットライトに照らされているのだ。そしてそれは、私の脳に合うには十分な大きさの領域を照らしている。

 

「脳」というキーワードが出てくる最後のこのコメントは、それぞれの人の意識がスポットライトに照らされて移動していくという主張のように思える。

 

これを読んでいたとき「時間はどこで生まれるのか」(著者:橋元淳一郎)という本の中で提示されていた、「『エントロピー増大の法則』という自然現象に逆らって秩序を維持しようとする生物の『意思』が、時間の観念を生む」という考え方を思い出した。

 

スコウ博士は明確に触れてはいないものの、時間の矢という過去から未来へ向かう方向性を作り出しているのは(人を含めた)観測者の意識なのだろうか?