【2話】


その日はちょうど日曜日で、めずらしく朝から外へ出かけた。ばあちゃんからちょっとした買出しを頼まれたんだ。

スーパーで買い物をすませたあと、隣にある図書館へなんとなく入った。うちの町の図書館ってちょうど町が合併したときに建て替えたとかで田舎に似合わずきれいで本の種類もわりと充実している。

来るのは何年かぶりだったけど、この前ネットで梯子の話やそれに似た異世界の話を読み漁っていたこともあり、科学関係の本のコーナーへいってみた。といっても最終学歴専門学校卒だからほとんど難しくてわからない。科学のコーナーの隣には生物や人間の体をテーマにしたコーナーがあって、俺はそっちで明晰夢関係の本でも探そうとしていたときだった。

ちょうどそのコーナーには俺ともう一人の女性しかいなかった。そしてその女性とふと目があった。

驚いたよ。経験したことのない衝撃が頭のてっぺんから背筋に走った。間違いない。夢の中に出てくる女性だった。夢の中の女性は顔もぼやけているのにどうしてわかったかって?

それは俺も不思議だけど、どうやっても言葉でうまく説明できない。彼女は彼女なんだ。間違いない。

彼女は俺と同じように夢に関する書籍が並んだコーナーを探していて、俺は「明晰夢を見る方法」とかそんなベタなタイトルの本を取ろうとして床に落としてしまった。そして彼女はごく自然にその本を拾って俺に渡してくれた。めちゃくちゃ優しい笑顔で。

「ありがとうございます・・・」精一杯冷静を装って何とかお礼を言う俺。
「この本面白いですよ。私もこの前借りました」と彼女。
「でもこっちの方がわかりやすいかも・・・」と手に何冊か持っていた本の中から一冊手渡してくれた。

俺はそのまま受け取り「こっちも読んでみます」とだけ答える。「こんな種類の本に興味をもつ人ってあまりいなかったので、珍しくって、ちょっとうれしいです。それじゃあ」と手を振りながら去っていく彼女。ほんの1分か2分の出来事だったけど、俺にはずいぶん長い時間に感じられた。

それから図書館通いが俺の日課になった。休日はもちろん、ウィークデーでも仕事が早く終わった日は閉館時間ぎりぎりになっても図書館に足を運んだ。目当てはもちろん彼女。こんなにポジティブに行動したのは何年ぶりだろう。そして10日ほどたったある日、仕事を切り上げて図書館に向かった俺は、ちょうど玄関から出て来る彼女を見つけた。ショルダーバッグと本を小脇に抱えている。本を借りてこれから帰るところだろう。
声をかけようにも心の準備する時間を与えてくれず、彼女は駐車場の車に乗り込んだ。
しばらく考え込んだが、そのときの俺の判断は早かった。現チャリに飛び乗り、彼女の車の後を追った。

しかし、俺らしくもない、良くいえばポジティブな行動、悪くいえばストーカーじみた行為が自分自身に跳ね返ってきた。彼女の自宅は図書館から車で五分ほど走ったところにあるアパートだった。見失うこともなくあまりにもたやすく着いてしまった。

車から降りた彼女はスーパーの買い物袋を両手にさげて、アパートの一室の扉の前に立った。俺は現チャリをアパートから少し離れた民家の脇に停めて、その様子を死角になるであろう植え込みの端から見ていた。どう言い訳してもストーカーだ。

部屋の扉が開き、若い男性が顔を出した。扉の影になっていたので顔はよくわからなかったが、ジャージぽい服を着ていた。俺よりも確実に若かった。
おそらく気づかれもしれないだろうが慎重に現チャリを押してアパートから離れると、すぐにエンジン全開でその場から去った。

その日から図書館には通わなくなった。数日後、追い討ちで気を削がれる事件があった。仕事帰りにコンビニによったら、例の写真を渡された作業服のおっさんに再会した。
彼は週刊誌を立ち読みしていた。おもわず後ろから「あの・・・」と声をかけた。
ビクッとして振り向いたおっさんは、俺の顔を見て「誰こいつ?」みたいに眉をひそめた。集中して読んでいた立ち読みを邪魔されて、腹を立てたのかもしれないと「すいません! この前のあの写真・・・」と俺的に精一杯声を張ってたずねた。
しかしおっさんは「失礼だけど、どこかで会った? 初対面だよな?」と言ったきり、再び中断していた立ち読みに戻ってしまった。
ヘタレな俺はそれ以上会話を続けることもできず、すごすごとレジに行く振りをして何も買わずにコンビニを飛びだした。

もう何もやる気がしなかった。家に帰ると先日注文したドリームハーブが宅急便で届いていた。普段はあまり飲まない缶ビールをあけて、例の女性が写っている写真を眺めならベッドに横になった。でもすぐにどうでもよくなり、説明もろくに読まないままドリームハーブの粒をビールでのどに流し込むと、すぐに睡魔が襲ってきた。

その夜、彼女の夢をみた。明晰夢が見えるという噂のドリームハーブ効果もあってか、普段よりも鮮明だった。
今回は彼女と車でドライブをしている。違っていたのは後ろの席から男の子が顔を出したことだ。年齢は小学校の中学年ぐらい。運転している俺はあぶないからちゃんと座っていろと視線は前を向いたまま、左手だけハンドルを離して男の子を前に出てこないように片手で押さえる。女性はそんな俺と男の子のやりとりを見て笑っている。男の子は制止した俺の腕を乗り越えてフロントガラスの向こうに広がる景色を見ようとしている。

目覚めるとなぜかうっすらと涙がこぼれていた。胸の奥がしめつけられるとはこんな感じなのか・・・。

土曜日で会社も休みだったが何にもやる気が起きず、かといっていままで図書館通いをしていたので「ばあちゃんからは今日はでかけないのか?」としつこく聞かれ、家にずっといるのも居づらく、仕方なしに現チャリ乗ってあてもなく出かけた。

気づくと知らぬ間に、おっさんが言っていたクリスマスイブに写真の女性が現れるという隣の市にある公園にたどり着いていた。ここ何週間かは俺にとって非日常的なことが続いたので、無意識にその名残が感じられる場所へ来たかったのかもしれない。

天気は良かったが風の強い日で、急に寒くなった俺は自動販売機であったかい缶コーヒーを買い、ベンチに座って飲んでいた。ふと視線の先をつばのある帽子が飛んでいく。それを追いかけて女性が走ってきた。帽子は俺の座っている目の前に拾ってくれとばかりに落ちた。思わず帽子を取り上げて顔をあげると、走ってきた女性が「ありがとうございます」と息を切らしながら頭を下げた。図書館で出会った彼女だった。

思わず赤くなる頬を隠すようにこちらもおじぎをしたまま「どうもその切は・・・」とつぶやく俺。その言葉に彼女も反応し「あああのときの・・・図書館でお会いしましたよね」。覚えてくれていたかと内心胸の奥でガッツポーズをつくりながら「あのときオススメしてもらった本、とてもおもしろかったです」と精一杯の笑顔をつくった。

それから二人でベンチに座り、夢の話を中心にいろいろおしゃべりした。こんなに自然に女性と会話したのは生まれてはじめてかもしれない。あっという間に時間がすぎ、彼女の方からよかったらと連絡先としてLINEのの交換を求められた。にやけそうな顔をひっしに取り繕いながら、慣れてもいないLINEをいじくる俺。彼女にリードされてまた会う約束をした後、別れた。

彼女の名前は仮にTさんとしておこう。何度かLINEでおしゃべりしているうちに、俺的には最大の懸念だったアパートにいた若い男の真相がいとも簡単にわかってしまった。
Tさんいわく「弟」らしい。ある事故で体に障害が残ってしまい、いっしょに暮らしているそうだ。小さい頃に両親が離婚して、母親と弟と三人で暮らしていたが、母親が体を壊し実家のあるこの町にやってきた。実家には母親の兄夫婦と祖母が先に暮らしており、あまり兄夫婦とTさん家族はソリが合わなかったらしい。半年前に母親が他界し、実家を出て、今は弟とアパートを借りて暮らしているそうだ。両親がいないのは俺と同じだったので、不思議な共感もあってか、二人の境遇を互いに知ってからさらに仲良くなった気がした。

そしてそれから何度かデートを重ねて、クリスマスイブも会おうということになった。その頃すっかり作業服のおっさんからもらった写真の女性のミッションは忘れていたが(おっさんの方も忘れてしまったみたいなのでお互い様だが)、Tさんは待ち合わせの場所に二人が出会った隣の市の公園を指定した。それで俺もミッションを思い出し、何かの縁なのかなと変に感動した。でもそれって偶然じゃなかったんだ。

確かミッションは「午後3時前に女性を見つけて、道を聞くなどしてある男と出会うのを阻止しろ」ってことだった。別にそれを遂行する気は今さらなかったけど、なんとなくTさんの方から待ち合わせの時間を4時ごろにしてきたので、早めにいって写真の女性がほんとうにその場所にくるのかだけでも確かめてみようと3時前に公園に到着した。

びっくりしたのは俺があのとき缶コーヒーを飲みながら座っていたベンチに例の写真の女性が座っていたことだ。
声をかけてみようかどうか迷っているうちに、座っている彼女と俺の前にプラスチックのボールが転がってきた。まだ保育園に通う前ぐらいの幼い男の子がボールを追いかけて走ってくる。さらに男の子の後ろからお父さんらしき男性があわてて走ってくる。俺は自然に体が動いてボールをつかもうとした。ちょうどベンチに座っていた写真の女性もボールに気づき、拾ってあげようとして腰をあげる。

その瞬間、俺の手が後ろからひっぱられた。驚いて前につんのめりそうになりながら振り返ると、Tさんがいた。
ひどくまじめな顔だった。ボールの方に視線を向けた俺に、「それは拾わないで」とうつむきながら消え入りそうな声でつぶやいた。Tさんの言葉に反応して俺の体が硬直する。俺のかわりにベンチに座っていた女性がボールを拾い上げ、男の子に優しい笑顔で渡すと、受け取った男の子の顔もみるみる笑顔になる。後ろから追いかけてきたお父さんらしき男性も頭をかきながら女性にお礼を言っている。

そんな三人の様子を見ながらTさんの方に振り向くと、彼女は「よかった・・・」とだけつぶやいた。
心の奥に何かがひっかかったが、夕食にはまだ早かったので、コーヒーでも飲もうと彼女へ提案した。Tさんはもう普段の彼女に戻っていて、「どこへ行く?」、「甘いものが食べたい」などとリクエストを並べた。せっかくのクリスマスなのでドライブがてら、ちょっとおいしいスイーツでも食べに行きたいなと彼女の車が停めてある駐車場へ向かう。

駐車場につくと、男の子が一人、彼女の車のちょうど前にかがみこんで、アスファルトの上に小石を並べていた。
「あぶないからどいてね。お父さんやお母さんどうした?」
俺がつとめて優しく声をかけると、男の子が顔をあげた。

驚いた。この前の夢の中で、いっしょにドライブしていた男の子だった。男の子は「やっときてくれた。ずっと待っていたんだよ」と笑みを浮かべた。
男の子は俺の隣のTさんに視線を移し、「おなか減った。マクドナルドに行きたい」と立ち上がり、すごく自然に片手で俺の手を、もう一方で手でTさんの手をつかんだ。